俺の中学時代の先輩、坂田美之助さんから久々の電話があったのは99年の3月だった。先輩と言っても半端な先輩じゃなかった。彼は当時俺が新入生として入部したバスケットボール部の副主将として君臨されていたスタープレイヤーだったのだ(マジで強いチームだった)。基礎体力のアップという名目でこっぴどく、しごかれた経験は、今の俺を作ってくれている大きな要素のひとつとして、今となっては感謝している。
「お前の電話番号探すのに思いっきり苦労したわっ!」
電話の向うの声は中学時代となんら変わりの無いVIBEで俺の耳に飛び込んでくる。
続けて彼は街で見かけたどうしても気になる二人の事を話し出した。ここで俺が初めてコブクロの二人を知る事となる。とにかく一度聴いて見ましょう、と言うことで松屋町にあるスタジオを2時間抑えて、そこで二人のパフォーマンスを披露してもらう事にした。
とにかく俺は彼らの生に触れたかったので、MDのRecスイッチを押して、彼らのオリジナルを唄ってもらう事にした。社長と俺の二人を前にして「桜」に始まり、「向かい風」にいたる12曲を一気に唄ってくれた。ちなみにLiveRallyで披露した「忘れな傘」はこの時のMDを基にアレンジしたのだ。予想以上のポテンシャルを秘めた彼らと共に、スタジオを後にして近所のおでん屋で夕食を食いながら談笑する事にした。
「アカンのやったら、アカンって今ここでハッキリ言うたってくれっ!」 相変わらず社長は無駄な話が嫌いなようだった。 俺は率直に感じた彼らのいいところを三つ指摘した。
まず声がしっかり出ている事、POPSとして印象に残るべきハッキリしたメロディーを持っている事、そしてとてもポジティヴなメッセイジを持った詩が唄われている事だ。
俺の話を聞いて彼らの表情が少し穏やかになったような気がした。なんでもスタジオに入る前に社長から相当プレッシャーを掛けられていたようだったのだ。そんな話を聞くに彼らがカナリの覚悟でスタジオに乗り込んできた事は容易に想像出来た。
「こいつらのCD作られへんかな?」
社長の提案があった頃には既に俺にはデビューアルバムのカラーがイメージ出来ていたのだった。
彼らのよさを前面に出すには彼ら二人そのものをフィーチャーするに越した事はない。その観点で彼らの音楽に更なるエネルギーを注ぎ込んでくれるプレイヤーとして迷わず中村岳が思い浮かんだ。カホンとアコースティック・ギターの醸し出すリズムに乗って彼らのハーモニーが包み込む。限られた予算でも必ずいいものが出来る。俺は既に成功を確信していたのだった。 |