夏の終わりの向日葵たち

(100万人のエールさん著)

夏の終わりの向日葵たち
 「こちら『こまどり』です。撮影を終えましたので、旋回し会場上空を通り抜け、基地に帰ります。イベントの成功をお祈りします」。キロロが登場する本編5分前、朝日新聞21ライブ「風に吹かれて」は、ヘリコプターとのこんな交信で幕を開けました。

 今回のライブは出演者はもちろん、実際の運営責任者であるキョードー大阪のセッキー、綜合企画の源野さんはじめ、スタッフも一流の方ばかりでした。このヘリコプターの機長Sさんも、非常に優秀なパイロット。朝日新聞社にはヘリコプター5機、ジェット機が2機あるのですが、S機長は両方操縦可能。今年の夏の高校野球甲子園大会で小泉首相が始球式を行ったのですが、その始球式用のボールをグラウンドに投下したヘリの操縦桿を握っていたのも、この方でした。

 実はヘリから、「あるもの」を投下する予定でした。これは盛り上がるぞ〜!と楽しみにしていたのですが…まあ、「写真集」の航空写真をご覧下さい!何かを投下するためには、少なくとも直径40〜50M程度の円が描けるぐらいのスペースが必要なのですが、お客さんでギッシリで、とてもそんな余裕はありませんでした。何せ、一番後ろの屋台の裏に置いてあったゴミ箱の後ろにまで、人がいたのですから!!(笑)

 開演前、たくさんのコブクロファンにお会いしました。
「エールさん、今日はコブクロ、ホスト役なんでしょ?じゃあ、私たちコブクロファンもホスト役、ということですよね!」なんて素敵なファンなのでしょう。そんな気持ちでライブに参加して下さっているとは!!感動で胸がいっぱいになりました。

事実、来場者の相当数(たぶん6割以上)は、コブクロをメーンに来て下さった方々でした。しかし、コブクロファンは本当に素晴らしい!!出演者のすべてに同じリスペクト、応援、賞賛の拍手を心から送り、演奏中に私語をしない、ゴミを捨てないといった基本的なマナーも実にしっかりしていました。

 「ライブは、アーチストとファンがいっしょになって作り上げるもの」。コブクロファンにとってはむしろ当然なことですが、多数のアーチストが出演するこういったオムニバス形式のライブでは、なかなか難しいのです。そういった意味でも、21ライブの成功は素晴らしいコブクロファンの方々の存在を抜きにしては考えられません。本当にありがとうございました!!

 15時3分前、キロロが登場してきました。いよいよ開演です。正式に話が決まったのが5か月前。新聞のテレビ欄の表札広告と記事で告知をスタートさせてから、3か月。あっという間だったなあ、と感慨深いものがありました。隣でセッキーが腕組みして、じっとステージを見つめて立っています。前日のリハーサル時、彼が「明日のライブが終わったら…僕、絶対泣きます」と言っていたのを思い出しました。

 一生のうち、それが成功であれ失敗であれ、後で大泣きするほど精魂傾けて取り組んだと言い切れるものを、自分はいくつ残せるだろう…。準備期間中に体調を崩しながらも、最後まで全力で打ち込んだセッキーはじめ、ミノスケ社長や三浦マネジャー、HP管理人の美香さんなど、彼と同じようにコブクロに熱い思いを託して支えて来た人がたくさんいます。すこしだけですが、そんな「夏の終わりの向日葵たち」をご紹介します。



★「泥だらけのYELL」

 21ライブ前日、8月29日。「全体セッション(ラストの『風になりたい』)のリハーサルまでには来て下さいね!」と電話で呼び出され、バタバタと仕事を片付けてもみじ川芝生広場に着いたのは、夕方の5時前。出演者が順番にステージ上でリハーサルをしている最中でした。THE BOOMのメンバーは、野球道具を持ち込んでキャッチボール。みんな芝生の上に寝転がったりして、のんびりしています。

 広いなあ…。去年9月の万博ライブでも、今年7月のMTWB(ミート・ザ・ワールド・ビート)でもここまで広く感じなかったのに、真ん中に「PAやぐら」がなくなるとこんなにすっきりするんだ!セッキーはじめ制作スタッフの、「どこまでもお客さんの立場に立って、最善を尽くそう!」との意欲と努力の成果でした。

 このやぐらの件は、本当に画期的。欧米でもほとんど例がなく、最近では英国エリザベス女王の誕生日記念コンサートの時ぐらい。もちろん日本ではほとんど例がありません。「音がいのち」のアーチストにとって、安定した音響環境の確保は絶対に譲れないところ。PAやぐらを移動させることについても、たとえ技術的には可能であっても、音のバランスをすこしでも狂わせる恐れがあるなら避けたいと、否定されてきたのです。そういった意味でも大きなチャレンジでしたが、「ライブはお客さんが中心」との信念をもつセッキーの粘り強い説得に、全出演者、スタッフが最終的に了解してくれたのでした。

 年間1000件を超えるライブやイベントを主催・後援しているFM802ですら、未経験の試み。MTWBを企画・運営しているスタッフのひとりが、PA塔が真ん中にないこと、お客さんを信用して鉄柵の代わりに最前列に置かれたプランター、ロープで整然と区分けされたブロック指定席などを見て、「僕たち、お客さんに満足してもらえるよう、今までどれだけ真剣に考えてただろう…恥ずかしいです」と言われていたのが、とても印象的でした。

 ステージ横の楽屋(といっても、テントがあるだけなのですが)の近くで談笑していると、コビーがうれしそうな表情で近づいて来ました。「エールさぁん、今何時ですか?5時過ぎ?じゃあ僕たち、明日はこのぐらいの時間に唄ってるんですね。おお〜最高じゃないですか!!そうかあ〜、うんうん、いいぞいいぞ〜、よ〜し!!」黒ちゃんも、リラックスした表情。「最高のシチュエーションですよね。ミートの時は、ホンマ暑かったもんなあ〜」。

 そうだ。黒ちゃん、「あのステージの上、すっごく気持ちいいんですよ。見晴らしもいいし、会館やホールと違って、声がどこま〜でも伸びていくんです。最高ですよ!」って言ってたっけ。リハーサルのじゃまにならないよう、こっそりステージの端っこに立ってみました。すごい!!夕焼け空の下、一面に広がる芝生が輝いて見えます。ここで思い切り唄うと、さぞかし気持ちいいだろうなあ。そういえば黒ちゃん、昨年の万博ライブ(「朝日新聞21☆ストリートライブ」02年9月14日)の後、こんなこと言ってたなあ…

――― 今回、自分で一番気持ちよく唄えたのは、何だった?

「そうですねえ…YELLですかね。でも正直言って、唄そのものはメタメタでした。足はガクガク、頭はボーッ、ピッチは合わへんし、声は出えへんし…まあ3時間半もライブやった後のアンコールの唄でしたから、しゃあないかな、と(笑)。でも何かこう、良かったんですよ。あの時のYELL」

――― へえ〜。何が良かったの?

「うまいこと説明できへんのですけど…。あの、「泥だらけの」ってことばが時々歌詞に出てくるんですよね。『太陽』とか『願いの詩』とか。まあ、自然いっぱいの宮崎で育った小渕がいかにも好きそうなことばで、グラウンドを転げまわって野球をやってた時以外、シティーボーイの僕には「泥だらけ」なんて無縁ですけど(笑)。でも僕もそうなんですけど、精神的に泥だらけになってしまったって経験は、まじめに生きてれば少なくとも一度や二度、誰にでもあるような気がするんです」

「遊びに夢中になって外を駆け回ってて、服汚して帰って来た子供みたいな、幸せで楽しい「泥だらけ」もあると思います。でもそうじゃなくて、やることなす事うまくいかなくて、ボロボロに打ちのめされて、みたいな時の「泥だらけ」もある。どんくさいことばかりやって、「顔洗って、出直して来いっ!!」て怒られて、でもどう出直したらいいかわからへんで、みじめに立ち尽くしている時とか…」

――― その「泥だらけ」の自分と、YELLがどうつながるの?

「あの時、確かに僕も疲れてたけど、ファンの人達もいい加減疲れてたと思うんです。というか、明らかに疲れてる表情が見えるんですよ、ステージの上から。開場してから5時間ぐらい立ちっぱなしやから、無理ないとは思うんですけど。でもその時、思ったんです。YELLって、こんな時にこそぴったりの唄なんじゃないかって…」

「『門出に立ってる、誇り高い勇者』って、そんな見た目カッコイイやつのことちゃいますよ、絶対。悩みごとなんかなくて、夜もぐっすり眠れて、おしゃれな服着て、さあ出発するぞ〜!みたいなのとは違うと思います。むしろ眠られへんほど悩んで、目腫れて、ボロボロになって、それでも出て行かなあかん。戻ることも立ち止まることもできへん。とにかく、泣きながらでも足を引きずってでも前に進むしかない、みたいなところにいる人のことやないかと思います」

「ホームページでもそうですけど、ファンの人からもらう手紙を読んでて、へえ〜、大変やなぁ…と思うような内容も結構あるんですよ。「人生相談させて下さい!」みたいな。僕でそうやったら、小渕がもらう手紙なんかもっとそうかもしれへんですけど(笑)。でも僕らに手紙書いてくれるような人は、絶対逃げてないですよね。少なくとも、ここで逃げたらアカン、逃げるな!!って自分に言い聞かせながら、コブクロ聴いてくれてるんです。僕、そんな人たちって、すごいなあ〜って思うんです。そして、こんな人たちこそ、本当の意味で「勇者」やないか、と思うんです。世間一般でいう「勇気ある人」のイメージとは、だいぶ違っているかもしれませんけど」

「でもYELLは、そんな人にこそしっかり届けたい唄です。もっと言えば、そんな「泥だらけ」の人の心にしか、なかなか届かない唄なんじゃないかと思います。逆に言えば、唄っている僕自身がいつも「泥だらけ」になってないとあかんな、ということかもしれません。泥のにおいのしない黒田俊介には、YELLを唄う資格はないのかもしれません。まだデビューしてそんなにキャリアを積んだわけじゃないのに、ちやほやされていい気になってないか、ライブでも、そつなく、うまくまとめようとばかりしてないか…心せなあかんな、と思うんです」

「ご存知のように、いつもセッキーさんに「黒田、おまえそんなんでええんか!!なんか誤解してないか!!」って怒られるというか、励ましてもらってるんです(笑)。でもこんな広々とした芝生の上で唄うチャンスを与えてくれたのは、きっと、かっこばかり気にせず、もっと泥だらけになって唄ってみろ!!って僕に教えたいんちゃうかなって気もするんですよね」

――― また、万博でYELL、唄ってみたい?

「もちろんです!!あのステージ、最高に気持ちいいですから」


21ライブでの、黒ちゃんの「泥だらけのYELL」。本当に感動しました。
黒ちゃん、セッキーも「さすが黒田や。最高!!」って言ってたよ。



★「変わらない唄声」

 打ち上げ会場の様子を一度見てみたい!と思っておられる方も多いでしょう。でも実際は、そんなに豪勢な食事が出るわけでもないし、バカ騒ぎするわけでもありません。ただワーナーさんによると「それは、エールさんがコブクロみたいなまじめなアーチストしか知らないからですよ。もう大変な時は大変なんスから!!」。ワーナーさんには、そんなに危険なアーチストがいっぱいいるの?(笑)そういえば、現在は東京を中心に活躍しているセッキーの好敵手レーベルマンさん(「コブクロ辞典」参照)も、「コブクロやコブクロファンみたいな人ばかりお世話できるんだったら、どれだけ楽か・・」とよくつぶやいてました。


 紙コップのビールに焼き肉と乾き物をつつきながらの打ち上げは、それはそれはなごやかでした。もちろん情熱を注ぎ込んだパフォーマンスの後、緊張のゆるんだ出演者たちが一同に会して飲んでいるのですから、それなりに賑やかです。でもすごく性格が良くて、気配り、心配りができる人ばかりなので、なんとも居心地がいいのです。

 僕が見た限りで言うと、会場内で最もテンションの高かったのは、たぶんコビー。あちらのテーブルこちらのテーブルと駆けまわり、「お疲れさまでした!」と相手のコップにビールやワインを注ぎ、「記念写真撮りましょう!いぇ〜い!!」と肩を組み…とにかく少しもじっとしていないのです。「小渕のやつ、よっぽど嬉しかったんだろうな〜。こんなすごい面子(めんつ)と同じステージに立てて。でもほとんど単なるファンだよ、あのはしゃぎ様は!」と、ミノスケ社長も苦笑していました。

 ひときわオーラを出していたのは、THE BOOMの宮沢さん。お礼のあいさつに行くと、「宮沢です。今日は素晴らしいイベントに出させて頂いて、ありがとうございました」と低い声でひと言。おお〜っ、なんだなんだ、このオーラは!!違う星から来た人と話しているようだぞ。「宮沢さん?あの人は宇宙人ですから」。こともなげに言う関係者のことばに、う〜ん、やっぱりそうかぁ、と変に納得してしまいました(爆)。

 「でもエールさん、見ましたか?」とFM802のスタッフ。「宮沢さん、ほら、笑ってるでしょ!」。10年以上宮沢さんとお付き合いさせてもらっているが、すごくまじめで何事にも真剣な宮沢さんは、めったに笑顔をみせないとのこと。「今日のイベント、よっぽど気に入ったんですよ!」。だったら、良かった〜。

 SOS(Skoop On Somebody)のTAKEさん。もうピンクのもやはかかっていませんでしたが(笑)、なるほど、カッコイイ。とても気さくな方で、笑顔でいろいろと話してくれました。「ステージに上る前、『お前ら1分でも押したら、ただじゃおかねえぞ!』って脅されて(笑)。だからMCなんか短い、短い!1分もなかったんじゃないかな〜」

 そうなんです。どうしてもその日のうちに帰らなければならない遠征組のファンが新大阪発・新幹線のぞみ号の最終に間に合うよう、何が何でも20時には終えよう!と事前に決めていたのです。コブクロファンのあなたは、そんな運営スタッフ、出演者の心配りと頑張りに気づいて下さったことでしょうね。短い持ち時間内に精一杯パフォーマンスして下さったSOSはじめ出演者の皆さん、本当にありがとうございました。

 ただTAKEさんに「朝日新聞さん、コブクロばかり応援しないで下さいよ!」と言われた時には、ドキッとしました。申し訳ないけど、そればっかしは聞けないなあ(笑)。

 でもなんと言ってもチーム・コブクロ的には、キロロのふたりが一番人気。「娘にしたい」「うちの小学生の娘もあんなふうに素直に育ってくれたら」と、絶賛。優しいメロディーライン、さわやかに伸びていく透き通るような唄声に加えて、千春ちゃん、綾乃ちゃんの性格の、その素直でかわいいこと!打ち上げ会場でも、「お疲れさまでした〜」と笑顔満開。「(キロロの)HP、楽しく見させてもらってます」と言うと、「え〜!見て下さってるんですかぁ。ありがとござ(い、を発音しないのが特徴)ま〜す!!」と声をそろえてペコ。ますます、かわいい!!

キロロのマネジャーさんにお話をおうかがいしました。

 実はマネジャーさん、気を悪くしてないかなあ、とすこし心配していました。京都でのジョイントライブ(8月10日、円山公園野外音楽場)の時、黒ちゃんがキロロのふたりにツッコミ過ぎた感があって(ライブの後、ミノスケ社長があやまりに行ってました)、気になっていたのです。でもとても優しい方で「いいんですよ〜。あのふたりの天然ぶりを見ると、誰もがツッコミたくなるんです。最初の頃はダウンタウンさんにツッコまれて、そもそも何をツッコまれているのか分からなくて、後で泣いたりしてましたけど。今は全然平気ですから」。いい人だなぁ〜。

 キロロのふたりの一番の魅力は何ですか?と聞いてみました。するとニコッと笑って、「変わらないところですね。今日も、いつも通りでした」。

 千春ちゃんが喉を痛め、半年間活動を休止していたことを、僕は知りませんでした。「しっかり唄えるようになるまで、あわてないでちゃんと治そうよ。たくさんのお客さんに、これからも千春のすてきな唄声をもっともっと聴いてほしいもん!!」。そう綾乃ちゃんに励まされながら涙をこらえ続けた日々があったことを、はじめて知りました。

 でも、ふたりの唄にかける情熱は、変わりませんでした。

 「ほら足もとを見てごらん これがあなたの歩む道 ほら前を見てごらん あれがあなたの未来」

 『未来へ』の歌詞のとおり、そんな試練をも「これがあなたの歩む道」なんだと素直に受け入れ、ふたりで夢を語りあい、明るく励ましあいながら乗り切ったそうです。

 「すいませ〜ん、沖縄の女なんですぅ〜(うるさいぐらいの世話焼き、という意味だとか)。ちゃんぷる〜!!」などと言いながら、まわりの人が食べやすいよう小皿の料理を大皿に移し変えている千春ちゃん。お酒が強いらしく「泡盛が好きなんですよね〜」と紙コップを手に、癒し系の笑顔でまったりしている綾乃ちゃん。「せっかくのお休みの日までふたりでハイキングに行っちゃうほど、あの子たち、仲いいんですよ〜」とマネジャーさん。そうでしょう。見てればわかります。コブクロと同じくらい、本当に仲がいいふたりでした。

 いつも変わらないところが、キロロの魅力かぁ。なるほどなあ。そういえば…2か月ほど前、コビーに新聞掲載用のインタビューをした時のことを思い出しました。

 「ホールや会館は、『非日常的』なところです。ふだん、誰もあんなところで生活してないでしょ?特別な音響、特別な照明、特別な雰囲気。何もかもが特別で、非日常的です。だからアーチスト側としても、特別なパフォーマンスをして構わないし、お客さんの方でもそれを期待しています。いつもよりおしゃれをして、特別な気持ちで会館のゲートをくぐります」

 「でも野外というのは、『日常』なんです。お客さんたちは、ふだんと同じ空の下で音楽を聞きます。特に夏の野外ライブは、紫外線対策でゴルフ場のキャデイーさんみたいな格好したり、雨が降れば合羽代わりにゴミ袋かぶったりと、おしゃれどころじゃなくなることさえありますし(笑)。そんな時は、特別な音楽はかえってダメなんです」

――― じゃあ、万博ではどんなふうにして唄うの?

「いつも通り、です」

――― いつも通り?

「そう、いつも通りです。自分として、コブクロとして、変えられないもの、変えるわけにはいかないと信じて唄ってきた唄を、いつも通り、精一杯唄うだけです」

 コブクロのふたりが演奏を終えてステージから降りてきた時、チーム・コブクロのスタッフ全員で、大歓声で迎えました。「良かったぞ」「やったな」「おめでとう」。祝福の声が飛び交います。僕は一番後ろで立って迎えたのですが、コビーが「エールさん、やったぁ〜!!」と、いきなり抱きついてきました。びっくりして、一瞬体を硬くしてしまいましたが、本当にうれしそうなコビーを「お疲れさま。本当に良かったよ」と、ぎゅっと抱きしめました。

 コビーの背中は、汗でびっしょりでした。その汗がそのまま、凝縮された時間、精選した5曲に注ぎ込んだエネルギーのものすごさを語っていました。「いつも通り」、精一杯唄い切った証しでした。

ガッツポーズをしたまま、うれしそうに歩いて行くコビーの後姿を見ながら、「ANSWER」の歌詞を思い出しました。

「朝まで声枯らして 唄った寒空も 雨にはじかれ歌い続けた 夏の日も…変わり続けるために 変わらずにいるよ」。

 路上の頃から、雨の日も風の日も、体調が悪い日も、気分が乗らない時も、お客さんが集まらなくても、CDが売れなくても、変わらずに歌い続けたコブクロのふたりがいたからこそ、この「風に吹かれて」が実現したのだ。そう思うと胸の奥から熱いものがこみあげてきて、涙を抑えられなくなりました。

 今でも、ぐっしょりと汗に濡れたコビーの背中の感触が手に残っています。コブクロのみならず、キロロにも、そして出演して下さった方全員に、もっとお前も汗をかけ!額にも背中にも、そして心にも…。「変わらない唄声」を通して、そんな励ましを受けた気がします。



★「好きだから」

 キロロ・コブクロが『愛する人よ』のセッションを終えた時、僕の横に、ステージから目を離さず黙って腕組みをして聴いている、ひとりの中年男性が立っていました。どうでしたかと尋ねると、いつもと同じおだやかな笑顔でゆっくりと何度もうなずいて言われました。「やっぱり、好きだな」。

 東京海上火災保険(株)広報部のUさん。ワールドカップサッカー・キャンペーンCMのBGMに「YELL」を採用して以来、ずっとコブクロを応援して下さっている方です。今年7月から、人気タレント・菊川怜さんが登場するCMに「愛する人よ」を採用して下さったのも、このUさんです。7月に異動になり他部に移られたのですが、この「風に吹かれて」のため、来阪して下さったのです。

「それで、どうしてコブクロをそんなに応援しようと思ったんですか?」

 カウントダウンライブ「1万人のエール」をきっかけにコブクラーになった僕は、どうしたらコブクロをしっかり応援していけるだろう・・・とずっと考えていました。個人的なファンとしての応援の仕方では、「自分の趣味・嗜好を仕事に持ち込むな!」みたいに言われかねない。私企業、しかも半分は公益性をもつ新聞社としてのスタンスもある。そんな中、ある程度周囲からの理解・協力を得ながら、広報を担当する立場・背景をどうすれば最大限に生かしていけるだろうか。尊敬するUさんから、アドバイスをもらいたかったのです。ところがUさんからは、意外な答えが返ってきました。

「どうして?そりゃあ、好きになったから、ですよ」
「好きになったって・・・それだけですか?」
「そうですよ。他にどんな理由があるというんですか!」

 東京海上のような日本を代表する大会社がPRをする場合、波代(タレント契約料や制作費を除く、テレビ・ラジオなどのCM放送料)だけで数億円はかけます。ワールドカップのような超大型イベント絡みのキャンペーンともなれば、間違いなく数十億円はかかっています。それぐらい莫大な費用をかける以上、セールス・プロモーション計画全体との整合性はじめ、何段階にもわたるチェックがあり、最終的には社長はじめボード(取締役)を前にした社内プレゼンを通さなければなりません。さまざまな、説得力ある理由が求められるのです。

 なのに「好きになったから」だって!?そりゃ嫌いじゃあそこまでできないだろうけど、それにしてもなんてシンプルな理由なんだろう…Uさんと同じく広報・宣伝部門で仕事をしており、そういった事情を知る僕にとってそれは普通ではありえない、いわば「理由になっていない理由」に思えました。好きだから嫌いだからって、そんなことで仕事ができれば苦労ないけど、もっと他に理由があるんじゃないかなあ・・・

 そのことをセッキーに話すと「エールさんは、やっぱり新聞社の人だな。すぐに何でも小難しい理由付けや意味付けをしたがりますね」と笑われてしまいました。

「よく覚えておいて下さい。唄うことだけじゃなく、スポーツでも何でも同じです。一流の人は、自分が情熱を傾けていることに対して、理屈抜きに取り組んでいます」

――― 理屈抜きに?

「そう、理屈抜き。『どうして唄ってるんですか?』って聞けば、『唄うのが好きだから』もしくは『伝えたいものがあるから』って言います。それ以外の理由は、すべて付け足しです。でもそんなふうにシンプルに唄っているやつが、実は一番強いんです」

――― コブクロも?

「だからこそ、応援してるんです。でも、もしあいつらが何かもっともらしい理屈を言うようになったら、僕、たぶん応援するのやめます。好きにしろって手を放します。でもとにかく唄が好きで、どうしても伝えたいものがあるっていうなら、僕の力の及ぶ限り、日本一になるまでどこまでも支えてやるつもりです」

「Uさん、『好きだから』って言って、それだけの理由で陰で一生懸命努力して、あんな大きな会社を動かしたんでしょ?だったら本物ですよ。あいつら、幸せだなあ!!」

 昨年2月、Uさんは交通事故に遭い、救急車で病院へ運ばれました。全治3か月。肋骨が何本も折れる重傷でした。お見舞いに行くと、携帯用のCDプレーヤーを枕もとに置いて、コブクロを聴いておられました。「こんな時に聴くと、本当にホッとします。コブクロの音楽は、『楽しい』だけじゃなくて『楽(らく)』にしてくれますからね。早く治るような気がします」と、息をするのもしんどそうなのに、笑顔で話してくれました。

 翌月、Uさんがまだ痛む胸部をさらしでぐるぐる巻いて、当時コブクロがレギュラーDJを務めていたニッポン放送「オールナイトニッポン」最終回のスタジオに現れた時には、本当に驚きました。大ファンの奥田民生さんからメッセージをもらい、うれしさで泣き崩れるコビィの肩にそっと手を置いて「良かったね」と話かけたり、「この番組の提供は、東京海上!」と一段と大きな声で原稿を読み上げ、笑顔で振り向くふたりに、金魚鉢のこちら側から手をあげたり…。デビュー1周年と4月からFM802ではじまる番組(21☆ストリート)を記念して、特別に1年前の「YELL」のCMを流すよう配慮して下さるなど、どこまでも心優しいUさんでした。

 最近ファンになられた方のために、昨年7月和歌山・ポルトヨーロッパでのファンフェスタで配られた「コブクロ新聞」に寄稿して下さった、Uさんの文章(抜粋)をご紹介します。この原稿は、Uさんが交通事故に遭われた時、病院のベッドの上で仰向けの姿勢のまま、力が入らない指に鉛筆を握りしめ、一生懸命書いて下さったものです。

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私に対して、ある日、ある若者がこんなことを言いました。

「彼らの唄・・・なんか真面目すぎて、はずかしくありません?」
「ファンは、10代からせいぜい20代前半までじゃないかしら?」

「そんなことないよ!人生を真面目に生きている人すべてに通じる唄だよ!」と私は反論しました。そうですよね、皆さん。

彼らの「人生を真正面からとらえ、一生懸命立ち向かっていく姿勢」「頑張る人を励ます精神」は、世代、性別を問わず、共感をもって受け入れられる、と信じています。

そうなんだ、頑張って生きているのは、若者だけじゃないんだ。
中年だって頑張っているし、時には誰かに励まされたい時があるんだ。

いいじゃないか、一生懸命で。
いいじゃないか、真面目で。
そうなんだ。中年だって、悩みや苦しみはいっぱいあるんだ。

「暗やみに差し込む光を探して」さ迷い、
「今日まで歩いてきたこの道、間違いはないから」と自分に言い聞かせて、
「眠れないほど悩んで、決めた答え」をもって、
「行くしかないだろう!」と気合いを入れて、
「閉じた扉たたきつぶして、轍さえもない道をただ進め」ということがあるんだ。

いいじゃないか、一生懸命で。
いいじゃないか、全力で。
いいじゃないか、中年で、コブクロが好きだって。

コブクロを聞くと、勇気が出るぞ。頑張れるぞ。
コブクロを聞かないと損するぞ。
コブクロファンは、みんないいやつばっかりだぞ。
みんな真面目に生きているんだ。
真面目なやつには、コブクロを教えたい・・・。

これからもジワジワっと全国にコブクロファンが増え、コブクロを知らない人はいない、という日が来るのも近いと思っています。

応援ソングの定番になってきている「YELL」は、きっと息の長い曲になるに違いありません。そしてコブクロは、息の長いミュージシャンになるに違いありません。老若男女を支え、支えられて・・・

コブクロが、好きだ!!
コブクロに、栄光あれ!!

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 しわくちゃの白い便せんに薄い鉛筆書き。読みにくい、ゆがんだ字。だけどなんて大きな愛が込められているのだろう…。頂いた手紙を読みながら、涙が止まりませんでした。

 Uさんやセッキーのような、愛を込めて支えて下さる方々がたくさんいるコブクロは、本当に幸せ者です。しかしそれは、そこまでして支えてやろう、応援してやろうと思わせるほど、ふたりが愛を込めて唄い続けてきたからに他なりません。

受けることを願う前に、まず、与えること。
支えてもらうことを願う前に、まず、支える側に回ること。
そして愛されることを願う前に、まず、自分から愛すること。

「愛する人よ 何を唄えば 君に届くの」

黒ちゃんが長身をふたつに折り曲げ、身体全体を振り絞って、大声で叫ぶ。
その悲鳴にも似た唄声が、広い会場のすみずみに、ひとりひとりの心に響く。

届けたい。大好きな唄を通して、どうしても届けたい愛がある。
だから、ことばも思いも薄めずに、ストレートに唄う。
それがコブクロだ。

やっぱり、好きだな。



★「荒野に湧く泉」

 セッキーのアイデアで作られたエンドロール。BGMは、ボブ・ディランの『風に吹かれて』。イベントを支えたスタッフ一人ひとりの名前が、星の雫(しずく)のように輝きながらゆっくりと流れていきます。降り止まない雨の中、画面を見つめるスタッフたちの頬には、涙がつたっていました。

 終わっちゃったなぁ…。すこし感傷的になっていると、肩にぬくもりを感じました。「あいつらも僕も、今年の夏は本当にいい経験させてもらいました。ありがとうございました」。ミノスケ社長だ。温かいなあ。大きな手も、ことばも。肩におかれた手から、なんともいえないぬくもりが伝わってきます。何にも感謝されるようなことなんかしてないのに…。「明日は高知か…。これからですわ、これから」。自分に言い聞かせるようにつぶやくミノスケ社長。そうか、また高知からなんだ。

 ミノスケオフィスコブクロ社長、坂田美之助さん。「1万人のエール」でミノスケ社長と出会ってから、早2年。コブクロのコの字も知らなかった僕に、親切にいろいろなことを教えて下さいました。そのミノスケ社長が、繰り返し話して下さったエピソードのひとつが、2001年2月7日、高知・キャラバンサライで行われたコブクロライブ。メジャーデビューを前に、ミノスケ社長がコブクロとファンの出発点にしようと決めたのは、そう、四国、高知だったのです。

 2000年秋。翌年3月のメジャーデビューが決まり、所属するワーナーミュージックの担当者はじめ関係者が集まり、キャンペーン場所や展開方法について協議していました。

「ひとつ質問があるのですが」。
会議の冒頭、ミノスケ社長が切り出しました。
「日本で一番CDが売りにくいところは、どこですか?」

変なことを聞くなあ、と思いながら、ワーナーの担当の方は答えました。
「四国ですね。業界では『音楽不毛の地』と呼ぶ人もいるぐらいです。人口も少なくてビジネスになりにくいし、ライブをやっても盛り上がらないのでアーチストも行きたがらないんですよ」

「では四国四県では、どこが一番むずかしいですか?」

ミノスケ社長は続けて聞きました。
「たぶん、高知です」
「そうですか・・・じゃあコブクロは、高知から始めることにします」。

 「坂田さん、それはいくら何でも無茶ですよ!!」。ミノスケ社長を翻意させようと、ほぼ全員が反対意見をぶつけました。曰く、最初から何も好き好んでそんなところへ行かなくとも、すでにそれなりの人気も知名度もある関西・大阪から始めるのがセオリーではないか、不毛の路上から育ったコブクロに、わざわざ不毛の地へもう一度行かせてどうしようというのか…。コブクロのメジャーデビューの成功を願うがゆえの、そして当然といえばあまりにも当然の反対でした。

 しかし、皆の前でミノスケ社長は言明しました。「コブクロは不毛の地から這い上がって来ました。だから他のアーチストが行きたがらないようなところから出発する方が、道なきところに道を作りながら行く方が、コブクロらしいのです。地方発の、ファンが育てたミュージシャンがあってもいいじゃないですか!!」。そして長時間の議論の末、コブクロのふたりを一番よく知っている坂田社長がそこまで言うなら…と、高知からキャンペーンをスタートさせることに決まったのです。

皆の前でそう主張し説得したミノスケ社長でしたが、それから眠れない夜が続きました。

 本当にこれで良かったんだろうか。もし失敗したら「ほら、だからあれほど言ったじゃないですか!」とばかにされ、オフィスの信用をなくすのではないか。自分が悪く言われるのは構わないが、それ以降、コブクロのふたりが冷ややかな対応しかしてもらえなくなって、結果的に彼らのチャンスの芽をつんでしまうことにならないだろうか…

寝付けない布団の中で、いろいろなことが思い出されたそうです。

「ダメだと言っても、もう決めてるんでしょ」。
こいつらの面倒をみてやりたいんだとふたりを連れて来た時、そう言って笑顔で受け入れてくれた奥様が、真夏の炎天下、汗だくになりながら、娘さんといっしょにCDの手売りを手伝ってくれたこと。

「社長が趣味で拾ってきたやつらに、どうして俺達が付き合わなきゃいけないんだ・・・」。
陰でつぶやいていた会社のスタッフが、「コブクロのためだったら何でもします!」と心から喜んで協力してくれるようになったこと。

「ビッグになるまで贅沢せんとこな」。
遠征する時も、食事は餃子の『王将』か牛丼の『吉野家』ばかり。泊まる時も、場末のホテルにツインを1部屋だけとり、3人でジャンケンして負けた者が床に寝ていたこと。

――― でもそんなに大見得を切って、何か成算でもあったんですか?

「いや、何にも(笑)」

――― 何もなくて、どうしようと思ってたんですか?

「50人ライブの精神で乗り切ろうと思っていたんです。その当時、高知県在住で連絡のとれるファンって、5人しかいませんでしたけど(笑)。5人が残り45人を集めるというのが50人ライブですから、何とかなるだろうと…」

――― 高知県全体で5人!?それはまた大胆というか、無謀というか…

「もともとコブクロは無謀な冒険をしてきたんですよ。3000人の営業マンのトップだった小渕が音楽だけで食べていく決断をしたのもそうだし、音楽のことなんか門外漢のゲーム屋の親父の世話になるなんて、普通じゃありえないでしょ?」

「70%ぐらい成算がある場合、残り30%に全力を尽くせばいいのだから、成功の可能性は高い。手の届きそうな目標だから、頑張れる。でもコブクロは違うんです。30%あれば、残り70%にチャレンジするんです。50人ライブなんか、10%(5人)が残り90%を目指して頑張るんですから」

――― 不毛の地と言われた四国を掘って、金か石油でも出てくると思ったんですか?

「いや、別にそんなことは期待してませんでした。ただ、きれいな水は出てくると信じてましたね」

――― きれいな水?

「そうです。(茶色に濁った水たまりのそばの花を指差して)ほら、不思議に思いませんか?こんなに濁った汚い水を吸って、こんなにきれいな花が咲くなんて…」

「あいつら、僕のところに来るまで泥水ばかり飲んでたんです。デビューさせてあげるからってだまされて唄いに行ったら余興代わりに使われたり、走っている途中にいきなりドアが開くようなボロのバンに乗って、一週間数百円でしのいだり。ある時なんか、ゴミ捨て場のそばでストリートやってるんですよ。ボサボサのかっこうで…」

「でもそんな、いわば濁った水を飲みながらでも、澄んだ、きれいな唄を唄ってきたじゃないですか!!だました人を憎むわけでなく、唄う環境の悪さを嘆くわけでもなく、ただひたむきに…。だからメジャー・デビューする時には、せめてきれいな水を飲ませて送り出してやりたかったんです」


このキャラバンサライのライブ。記念日カキコで有名な「みち」さんのカキコ(抜粋。一部編集)によると、こんな具合だったそうです。

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2001年2月7日は高知でライブのあった日でした。コブクロ初四国上陸の日です。社長、小渕君、黒田君、覚えてますか?あの日、450人もの人がデビュー前のコブクロのライブに、しかも四国、高知に集まったんですよ。

ライブ前には社長の長いMC。四国にはなかなかアーチストが行かないとか、だから「音楽不毛の地」と言われているとか。コブクロは不毛の路上からファンが育ててくれました。だからココ四国からコブクロを発していきたい。地方発のミュージシャンがあってもいいじゃないか!と言いながら、涙を浮かべておられました。

大阪からはコブクロバスが出動。ファンが30人くらい集まって、1台の真っ赤なバスをチャーター!バスの中はコブクロ祭り状態(笑)。ビデオを見たり歌ったり、手話の練習も。

手話っていうのは…聴覚障害のある方がおられ、その方にはもちろんコブクロの歌は聞こえません。でも歌詞カードを見て、2人が歌う姿を見て、十四の心で聴いてくれたそうです。聴覚障害を持っている人には歌は関係ないって思ってもらいたくなくて、ファンのひとりがはじめた手話。ライブでやろう!っていうことになり、「ストリートのテーマ」の「朝まで僕らといっしょに〜コトバに羽根が生えて飛んで行きます♪」のところをみんなで練習しました。ライブで歌ってくれなかったらどうしよう?っていう心配もあった中、コブクロさん、やってくれました!!アンコールも、みんなで手話付きで歌いました!!

ライブではまだタイトルの付いていない新曲の発表。これが「YOU」でした。この日を皮切りに、徳島、愛媛、香川と、コブクロは四国でのライブを重ねます。この日があったから、コブクロにとって「四国」って特別な地なんじゃないかなぁって思います。

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「50人ライブでいつも感動するのは、主催者のファンが、最後列で涙を流しながらコブクロを聴いている姿です。自分たちこそ最前列で聴きたいだろうに、そして一番苦労した彼らこそその資格があるのに、ほとんど例外なく会場の一番後ろで感動して泣いているんです。コブクロは、そんなファンに支えられてデビューできたんです。そんなことを思って…僕、高知ライブのMCの途中で泣いてしまったんです」

「道端に咲く花は 黒い土に根を張り

どぶ水を吸って なぜきれいに咲けるのだろう

私は 大ぜいの人の愛の中にいて

なぜ みにくいことばかり 考えるのだろう」

              (星野富弘・四季抄『風の旅』より)

 わずか5人のファンに「高知へも、コブクロ行くよ!」と連絡が入った日のことを、そして陰でなされたいろいろな苦労が報われたライブで、ミノスケ社長やファンの方々が流した涙のことを思います。その涙は、なんて「きれいな水」だったのでしょう!!そして翌月にメジャーデビューを控えたコブクロのふたりをどれほど元気づけ、勇気づけたことでしょう!!

 四国に限らず、なかなかアーチストが行かないようなところは、日本中にたくさんあります。たとえ聴覚に障害がなくても、コブクロのストレートな唄に素直に心開けない方も、残念ながら少なからずおられます。きれいな水で潤され元気をもらったコブクロのふたりは、そういったところ、そういった方々へも、いつの日か必ず自分たちの唄を届けにいくぞと、心に誓ったのではないでしょうか。

 これからも、不毛と思われていた土地、荒れ果てて傷ついた心に、荒野に湧く泉のようにコブクロ・ソングが届き、ひとりひとりの心の中に、次々ときれいな花が咲きますように…

  (完)

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