30・50人ライブを主催して
| 30人ライブ |
| 開催日 |
1999年12月10日 |
| 開催場所 |
カラオケ ゆー坊大阪国分店 |
| 参加人数 |
32人 |
| 投稿者名 |
坂本直子 いまにちこ |
<30人ライブ:1999年12月10日開催 in カラオケ「ゆ〜坊」国分店>
1999年9月のポルトヨーロッパでのライブ後、写真撮影などをしているときに、ミノスケ社長と立ち話をする機会があり、そのときに、「30人ライブって、けっこう予定詰まってます?」と聞いたところ、「ばんばん入ってるよー。やるなら早めに動いた方がいいよ」と言われました。
その時が、今までストリートを聴きながら、漠然と「30人ライブやってみたいなあ」と思っていたのが、「よし。やってみよう」という確固たる決意に変わった瞬間でした。
さっそく、私をコブクロワールドに誘ってくれた友人に相談しました。「一緒に30人ライブやらん?」。もちろん二つ返事でオッケー。それがスタートでした。
まずは会場探しから。地域の市民会館に相談に行ったり、祖母に「おばあちゃんちでライブしていい?」と聞いてみたり、カラオケ屋さんに下見に行ったり・・・。二転三転したものの、結局、無難に駅前のカラオケのパーティールームを使うことになりました。
それからはライブに参加してくれる人の勧誘。なにしろ自分たちの地元(やや田舎)まで引き連れてくるわけで。いろんな人に、かなり熱くコブクロについて語り、デモテープを貸し、ストリートに誘い、「どうよ?コブクロ、いいでしょう」とアピールしました。
自分の職場の人たちは、かなり以前から洗脳していたので、「うん。行く行く!」という感じだったのですが、なにしろ仕事の忙しい金曜の晩に田舎へ出動、ということで、ライブ時間に間に合うかどうかの瀬戸際でした。
それなら、できるだけ地元民にも声をかけて、確実にライブ開始時間に30人そろえなければ、ということになり、まずは自分の家族、親戚、そして、同級生たちへと、勧誘の輪が広がりました。「友達の友達」「友達のお姉ちゃん」「友達のお姉ちゃんの職場の人」・・・と、訳がわからない状態になってきましたが、なんとか30人集めることができました。
しかし、いろいろ都合があり、ライブの直前になっても、まだ30人に届かない、という状態で、ぎりぎりまで、地元の今までほとんど連絡してなかったような友達にまで「ちょっと駅前のカラオケ来てくれへん?ライブあるねん!」と電話かけまくりでした。
この30人ライブのおかげで、久しく連絡をとっていなかった旧友にも声をかけ、久々に再会できたし、コブクロを通じて、今でもちょくちょく交流が続いているというのは、本当にありがたいことです。
おかげさまで、ライブも大好評。カラオケのパーティールームでコブクロの二人が生声で唄い、自分たちで曲にあわせて照明を変えたりと、演出をしながらのアットホームなライブは、今でも私の宝物です。絶妙のトークにお腹が痛くなるほど笑い、間近で迫力満点の歌を聴き、ライブの素晴らしさを全身で感じることができました。
実は、その日は興奮したのか、38度以上熱があったのですが、そんなことすら忘れさせてくれる最高の夜でした。
本当にやってよかったと思っています。こんな機会を与えてくださり感謝です!
1999年12月10日は、私にとって忘れられないとても大切な日になりました。
坂本直子
昨日のことを思い出すのもやっとこさ、そんな私が3年も前のことを克明に思い出せるかと言うとほんと定かではない…。が、しかし、この頃はきちんと日記を付けていたのです!(コブクロに会った回数まで数えて・・・・37回目が30人ライブの日でした、やば。)当時の日記を引っ張り出し、当時の感動を思い起こしてみました。
1999年12月10日(金)、コブクロと出会って約半年のこの日。“コブクロを自分達の街に呼びたい!いや、自分達の為にライブを開いてくれるなんてこんなチャンス逃す手はない、絶対30人集めるぞぉぉ!!”・・・の気合いで、大阪の河内の田舎、国分のカラオケパーティールームでライブしていただきました。
30人くらいは集められるやろー、ってことで問題はライブ会場、色々探しました。公共の施設には片っ端からあたったものの、色々制約があって断念。場所と日程とコブクロのスケジュールと、すべて決まってから、30人集めでした。・・・あまかった。当日、20分前にコブクロが控え室で声出しを始めたにも関わらず、人が来ない!!
金曜の夜20時〜社会人の友人ばかりで(90%コブクロより年上、熟女ライブ?!!)忙しい時期だったのもあり、『友達5人連れて来る!』と言ってた子が、「ごめん…1人やねん。」 きゃぁーーー!!!半泣きでした。社長もちょっと、ムッてしてはったし、急いで電話かけまくったり…すみませんすみません、ってうろうろはらはら…。ふたを開ければ32人、ほっ、っと、胸をなでおろしました。又、私もおもうように準備できず。部屋を飾り付けたりコブクロにプレゼントしたり、せっかくの機会だし色々したい!と夢見ていたのに、なぁ〜んもできず。この日は出張もあり、なんとか仕事を切り上げ、抜け出て、花束を買いにいき、お飲み物を買いに行き、カラオケ屋に行き、コブクロを駐車場でお出迎え、コブクロと社長の三人がモ○バーガーで打ち合わせしてはる間も、もう、うきうきはらはらばたばた・・・。12月だと言うのに汗だくでした…。
予定より15分遅れ、反省することばかりで始まった30人ライブでした。ほとんどの観客が、初めてで年上で教育関係という、非常にやりにくいライブだったでしょう。しかし、コブクロはトーク炸裂、全9曲を熱唱!『夜空』では、暗くしよ〜ってコブチクンが電気をけしにいったり、高齢者相手にあえて『MLP』で (『MLP』裏話は私の一生の宝、心の支えですvありがとうv) HEY!JUMP!させたり…熟女達もキャーキャーでした。
今でも熟女友達に言われます。『私の自慢は、あのコブクロがデビュー前に国分のゆー坊で目の前で唄ってくれたことやわー。ところでコブクロは元気?』(・・・私がコブクロの連れだと勘違いしてた人も…すみません・・・)しかし、あれからずっとライブに来てくれる友達や、CDを全部揃えてる友達、かなりはまっちゃってくれたことが、この30人ライブをして良かった、ってことです。自分達の為にこんなたくさんの人に協力してもらったのでは申し訳ない!このライブがコブクロに貢献できたり、みんながコブクロの良さにはまってくれたりしてこそ、主催者の理由付けになるもん!ってのが正直なところです。だから、苦労話なんて、苦労ではなかったことを、にやけて思い出し笑いをかみ殺しながらの幸せレポートなのです…。
このライブが終わってからの私は抜け殻でした…。
祭りの後の静けさ…というより、恋の病に冒されたような…vぽv
打ち上げの席で聞いた、「手売りでのCDの売上だけで、食べていってるねん。」という二人のハングリー精神にほんと尊敬してしまって、もう、絶対一生応援する!!って熱く盛り上がってました…。(もちろん今でもです!)
この30人ライブという画期的な宣伝営業作戦はたくさんの人を動かし、たくさんの人の心を動かし、コブクロをどんどん後押ししましたね。(さすが社長!)そのコブクロがメジャーデビューを果たし、着実に自分の道を歩んでいってる姿を見ることができて、その道の端の雑草の一部になれて私も幸せです。きっと30人ライブを主催した方々も、始めは「自分の街に来て欲しい」から、たくさんの人達と関わるうちに、どんどん大きなスケールで想うようになっていったことでしょう。
あの頃は、毎日のように天王寺や難波にコブクロストリートを聴きに通っていました。そこに行けばいつでも会える、そんな身近なコブクロが、今では、近くてライブ、遠くは雑誌やラジオやテレビの中から…そしてCDから。早くそんなコブクロを見てみたい気持ちで応援しつづけてたものの、正直言って淋しい気もします。「又天王寺のMIO前で唄ってへんかな?」今でも、通りすがりにコブクロの姿を探してしまいます。又道端に座ってお話してみたいなぁ。このレポートを書いているうちにどんどん懐かしさがこみ上げてきて、なんだか冷静に書けなくなっています。“どんどんTVに出てどんどんCD売れてどんどん人気が出て、紅白にも出てレコ大もとって欲しい!!”いつもはこの気持ちが勝ってるんですが思い出すとダメです・・。
こんなこと言いつつ分かってるんです。コブクロはあの時のまんま、身近ないつでも会えるコブクロなんです。だからこうしてずっと応援しつづけられるんです。ラジオやライブでのトーク、道端で聞いてたお話、一緒やもんね。
だらだらと長く書いてごめんなさい。最後に、30人ライブ後の日記から…。
「ありがとう、コブクロ。ほんまに素敵な時間を・・・。一生心に残ると想う、コブクロがこの先どうなっても。私の中ではステキな大切な思い出として。勝手に心の友とさせてもらうよ、勝手に心の支えとなってね、大スキ!」(三年前25歳。…若いなぁ、私も…。)
いまにちこ
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