| ペンネーム:宝塚☆美和さん 「繋がり・・・」 |
2000年7月28日、この日は私にとって一生忘れる事が出来ない大切な記念日。
『筋肉100人ライブ』が達成された日・・・。
この日を迎えるまで私を含め10人の仲間が主催者として助け合い、それぞれが“コブクロへの想い”を胸に頑張ってきました。主催者10人だからできるライブを・・・
そして私達10人にしかできないライブを・・・と一人一人が心掛け責任を持ち行動してきました。
私がこのライブを作り上げていきたいなって思ったのは、やっぱり一番は『コブクロ』が好きだったからだと思います。今まで音楽にあまり興味など持ったことのなかった
私が、路上で唄われるお二人の前でふと足を止め思わず聴き入り涙まで流してしまうという瞬間があったのです。驚くほどお二人の唄が、私の心の中に入り込んできました。そして唄だけでなくお二人の人間性にも、感銘を受ける瞬間が多くあったのです。ただただ・・その瞬間を少しでも他の多くの人に味わってもらいたい、伝えたいって思ったのです。皆同じ気持ちを持った仲間達で、“少しでも多くの人に知ってもらいたい”という想いが強く、始めに倍の100人集める事を目標に設定し走り出したのです。また私は個人的にも、ひとつのものを皆で作り上げひとつにまとまるという瞬間の感動が大好きなのです。もちろん何もかもが初めてのことばかりで戸惑うことが多くありました。けれども皆でひとつひとつのハードルを乗り越えて行く度に、達成感、充実感を得ることができ、そしてまた皆との絆や信頼感も強めることができました。私は10人の仲間に囲まれ、一員として責任ある仕事を任されていく中で少し自分自身を成長させることもできたのではないかと思います。
私達がライブを作り上げていく上で、いくつか大切にした事があります。まずは、『他者を思いやる心』です。それはコブクロさんから教わった一番大切な事かも知れません。10人それぞれの仕事が、負担にならないよう常にコミュニケーションを大切に皆の動きを把握できるようにしました。またお客さんや、ホールを貸して下さった方などへの話し方や心配りにも誠意を持って接するように心掛けました。私は逆にそのことを通して、一生懸命熱意を持って意志を伝える事により理解してもらえることを、身を持って学んだように思います。
またコブクロさんがストリートの際に合言葉のように言われていた『来た時よりも 美しく』を常に信条としていました。
そして何よりコブクロさんに心地良くライブをしてもらう為に、また来て頂いたお客さんに気持ち良くライブを楽しんで帰ってもらう為にどうするか・・を考えるようにしました。まずライブが始まるまでは、お客さんを私達がコブクロさんの代わりに『おもてなし』する気持ちで接するようにしました。例えば年配の方もいらっしゃった為、座ってゆっくりと聴けるスペースを作りイスを並べました。またホールは手作りの装飾で飾り付け温かい雰囲気・手作り感を出せるようにもしました。
そしてこの私達の想いが届いたのか・・「今日は燃えている!!!」と小渕さん。(笑)「任せとけコノヤロー!!!」と黒田さん。(笑)この心強いお言葉で始まったライブ・・・お客さん全員がコブクロライブ初めてという方々だったのにも関わらず、大盛り上がりだったということは言うまでもありません。皆すっかりコブクロさんのペースにはめられ、コブクロさんの世界に入り込んでしまっていました(笑)
ライブ中も私達は走り回っていたのですが・・・その中でも私の耳と心に響いてきたお二人からの忘れられないメッセージがありました。
「他人の言葉はあくまで助言!!最後に何がやりたいか自分で決めないと・・・。自分とずっと一緒にいられるのは自分だけ!!だからそんな自分を無碍に扱うなと・・・それから夢を叶えるには・・“成功の法則”があって、それは成功する為には成功するまでやり続けること。宝くじの1等を当てたいなら当たるまで買い続ける!!ただ僕等はそれが“音楽”だったんです。僕等も最初は2・3人のお客さんを前に唄ってたんです。いつかは500人くらいまで集めたいなと思ってやっていたら、この間達成できました。叶うまでやる・・成功する為には成功するまでやることです!!
これ以外の言葉はありません。轍は与えられるものじゃなくて自分で作るもの・・と言う想いで作った歌を・・・」と『轍』を唄われました。私はこれらの言葉を今も胸に、難しい誰にもまだ言えない夢だけど・・叶える為に挑戦しています。叶えられるかまだ分からないけど、コブクロさんに負けないよう最後まで自分を試し続けてみたいと思っています。今も着実に、自分達自身の“轍”を全国に刻み続けられているコブクロさんを目標に・・・。
こんなにも素敵な真面目なお話をされるコブクロさん・・・でもでも、今と変わらずもちろん笑いトークも充分ありました(笑)例えば、今までお互い色んな事やって来たってことを言い競い始めて・・・(笑)「俺の方が絶対色んな事してるわ〜!!」って黒田さんの言葉に「いや、絶対俺やわ!」って張り合う小渕さん(笑)「じゃあ、ガソリンスタンドのバイトしたことあるか?他には自給630円のお好み焼き屋とか・・・」って黒田さん。それに対して「ない・・ない・・でも俺なんて宮崎で自給480円やったもん!!!」って小渕さん(笑)すかさず「安う〜!!て言うか皆、笑ってるんじゃなくて引いてるねんで!!!」ってツッコム黒田さん(笑)こんなトークももちろんのこと沢山ありました(笑)これがなかったらコブクロさんじゃないですよね(笑)
そんな中、無事大成功に終わったライブ後・・素敵な体験をひとつさせてもらったので、お話させて下さい。小さなホールだった為、出口が一つで狭いエレベーターに乗らないと帰れなかったのです。そこで私は、エレベーターの扉を開け皆さんをお送りすると言う役をさせてもらいました。私は最高の笑顔で『ありがとう』の気持ちを伝えようと思っていました。そしたら、逆だったのです・・・。皆さんエレベーターに乗り込まれた後、必ずと言っていいほど「ありがとう!!本当に来て良かった。」「またライブ行かせてもらいます。お疲れ様。」など・・・心のこもった言葉と笑顔を残して行って下さったのです。中には扉に挟まれそうになりながらも、一生懸命伝えて下さった方もおられました。逆に私が泣きそうになってしまって・・・(涙)でも最後まで堪えて笑顔で皆さんをお送りできるよう頑張りました。きっとあの小さな狭いエレベーターの中は、男女年齢層問わず沢山の来て下さった方々の“優しさ・温かさ”で溢れかえっていたのではないでしょうか・・・。そんな素敵な場面に立ち会えた私は幸せ者だったなぁって思います。だけど、あんな風に皆さんが素敵な顔で帰られて行ったのは、コブクロさんのパワーなんですよね・・きっと・・・。またあの日コブクロさんの唄が沢山の方々の心を掴んだという事が、CD売上歴代1位を達成できたことからもはっきりと分かりました。
今こうして振り返ってみると、苦労したことよりも楽しかったことや沢山の方々のキラキラ輝いた笑顔が思い出されます。そしてあの日の、いっぱいの「ありがとう」が今の私の笑顔に繋がっているように思います。
社長さんを始めとするスタッフの方々の『ファン=コブクロスタッフ』と言う、考えの下で続けられた50人ライブ・・。そしてこの考えは根本的に一生変わらないと言い続けられる社長さん・・・。こんな素敵な社長さんとコブクロさんが出会われたから、私達の出会いもあったのではないかと思います。最近でもホームページを通して、今ではかけがえのない友達と出会う事ができました。その友達が恥ずかしそうに私に贈ってくれた素敵な嬉しかった言葉があります。「美和ちゃんと出会えてインディーズの頃を知らない私も、もっとコブクロを好きになれたし、こんなに好きになれると思ってなかった。それにファンをずっと大切にし続けてくれるコブクロが素敵やし、大好きって思える。」って言ってくれたのです。そのお友達とは来春から、少し離れ離れになってしまいます。だけどお互い違う道を歩み始めたとしても、コブクロさんを応援し続ける限り私達はずっと繋がっています。こんなひとつひとつの出会いが繋がり、小さな輪が大きな輪へと・・・。そんな手と手が繋ぎ合わさっているような、温かさが『コブクロ』なのかな・・なんて改めて思いました。そして、コブクロさんから頂いた“出会い”・・これは私の一生の宝物でもあります。そんな沢山の計り知れない幸せを、私に運んできてくれたコブクロさんに私のせめてもできることは・・・“変わり続けるために変わらずにいてくれるコブクロさん”を私達も初心を忘れず、変わらずに応援することなのではないかなって思っています。実際にあれから2年経った今でも、お二人は変わられていないように思うから・・・「私もお二人が唄い続けられる限り変わらないし・・ずっと応援し続けたい!!」って思います。“地”にしっかりと足を付け、自分達の『音楽の道』を突き進まれているコブクロさん・・これからコブクロさんがどんな壁にぶつかられたとしても、しっかりと踏ん張れるように土台として一番お近くで“地”の下で根っこを張り巡らせておきます。この根っこが、全国の皆で“繋がる”ように私も頑張っていきます。だからコブクロさんも、お二人にしか咲かせられない美しくて強い大輪の花をずっと咲かせ続けて下さいね・・・。
これからもコブクロさんと私達ファンの良い関係が続くこと、そしてコブクロさんのご活躍を心から願っています。
改めて・・コブクロさんと出会えたこと、また私に素晴らしい機会を与えて下さった事を感謝致します。心から・・・ありがとうございました☆ |
| ペンネーム:長 涼子さん |
まず初めに会場探しからはじまりました。人が集まりやすい駅の近くがいいとか、ちょっと舞台があるような所がいいとか、広すぎず狭すぎず、など色々話して、ライブハウス二つを候補にあげました。
堺東の筋肉ホールですることにしたのは、コブクロの二人が出会った“堺東”ってこともあったからだったと思います。筋肉人気!ライブの名称です。なぜこうなったかというと、50人ライブを企画した当時コブクロのホームページの中のチャットで流行っていた、上から読んでも、下から読んでも同じ音。たぶん小渕さんが流行らせたものだった様な…?
一番大変だったことは、このライブの2~3日前に、50人ライブをする時の決まりが新しくなって、お客さんはコブクロを初めて見る方という風になりました。代表者のエミちゃんから連絡をうけて、慌てて元々ファンの人には事情を説明して、来てもらうのを我慢してもらいました。
50人集まるかとてもとても不安でした。ライブ当日までに何度も主催者であつまり、泊り込みもして、このライブでしか出来ないライブを作ろうと一生懸命に頑張りました。終わってみれば100人を超えるお客さん、CDも94枚売ることができたという事でした。その当時で歴代1位と聞き、10人の主催者は大満足でした。
ライブの中で、主催者の美幸が留学する事の門出を応援しようという事で、コブクロのお二人から、YELLを美幸の為だけに!!!!!!とっても感動して涙しました。
私がこのライブの中でいっちばん忘れられない事は、この日コブクロに誕生会をしてもらった事です。主催者の皆のビックリ作戦で、コブクロのお二人にお願いしてくれていたようで、何も知らずにいた私は、ほっんとに嬉しくて、コブクロがHAPPY BIRTHDAYを唄ってくれている間、二人をずっと見ていたのに、涙でにじんで見えなくて、誕生日で泣いたのはオギャーと生まれる時意外、記憶がある中では初めてで、一生忘れる事のできないライブとなりました。小渕さんの“幸せを呼ぶ指笛”忘れませんよ。あの時に頂いた色紙、大事に大事にしています。本当にありがとうございました。
ライブが終わった後に、お客さん皆の声を聞いてみたら、“すごく良かった。ZEPP行きます!”とか、“感動しました。”とか、本当に大満足の人ばかりで、コブクロの二人の魅了する力、コブクロパワーはやっぱりすごいと思いました。
あれからもう二年半がすぎました。デビューして、ブラウン管の中のコブクロを見る度、CDから聴こえてくる二人の声を聴くたび、コブクロに出会えてよかった。筋肉ライブ主催者とこのライブを企画して良かった。と思います。このライブは私の一生のココロの宝物になりました。ありがとうございました。 |
| ペンネーム:☆とも☆=19+2さんメッセージ |
私が主催した50人ライヴは、堺東にある筋肉ホールというすごく小さなライヴハウスでした。
忘れられないのが、コブクロの二人が筋肉ホールに入った時の一言です。控え室でも、ライヴの時にも言っていたのですが、今までこんなに良い環境で唄わしてもらったのは初めてだと、とても喜んでいたのが印象的でした。スピーカーが大きいこと、「音がめちゃめちゃいい!!(by.小渕さん)」こと。私たち10人は、コブクロの音楽・コブクロの二人が大好きで、その良さをもっともっとたくさんの人に知ってもらいたい!という思いがとても強くありました。そして、コブクロの二人が唄いやすい環境で、良い音でライヴをしてもらいたいと思いました。初めてコブクロを聴く人にとっても、やはり音の良さは大切だと思うからです。そして、見事100人もの人がこのライヴに来てくれました。小さな小さなライヴハウスが人でいっぱいになるのを上から見ては感動していました。このライヴハウスには階段を上ると中二階のような空間があり、私たち主催者はそこからビデオや写真を撮っていました。この空間を利用して、このライヴではコブクロをビックリさせる計画がありました。まずは『桜』で、ギターを弾くのをやめて二人が熱唱し、またギターが入る瞬間に、二人の上から桜の花びらを降らせることでした。桜の花びらは、より花びらっぽい紙を探し、一枚一枚桜の花びらの形に切りました。その中に、何枚かコブクロの形に切ったりもしました。もう一つは、ステージの後ろの垂れ幕でした。最初は『コブクロinモリモリ堺東筋肉人気』というのを、布にフェルトをはり、ひまわりの花を付けたものでした。そして、最後の方で音に合わせてめくると、紙にコブクロの絵を描き、その上にキラキラのモールで『ZEPPガンバレ』というのをかきました。ZEPP
OSAKAという大きなライヴハウスで2Daysというのが決まって、すごくすごく嬉しかったので、おめでとうが言いたくてその垂れ幕を思いつきました。音に合わせてめくるのはなかなか大変でした。垂れ幕を作るのも、すごく時間がかかりました。作るために友達の家でお泊まり会を開いては、朝まで時間を忘れて作業していました。ライヴで桜の花びらが降った時、二人はすごく驚いていたけど、その一枚一枚が桜の花びらの形になっていることに、また驚いていました。黒田さんが、「びっくりした!一枚一枚花びらの形に切ってある。普通四角とかやのに。」と言うと、小渕さんが、「黒田のあかんとこはこれが桜に見えるとこ。実はこれはハートですよ!!」と言ったのもすごく覚えています。黒田さんは言葉をつまらせて笑っていました。この日の二人は本当に笑顔でした。控え室では、「燃えてるもん。今日は。」と、小渕さんが言ったこと、「一生懸命やりすぎて曲順も忘れるわ。」と黒田さんも言っていたこと、すごくすごく嬉しかったので忘れません。
ライヴでは、初めてコブクロの音楽を聴くお客さんばかりなので心配もあったのですが、『轍』や『ストリートのテーマ』では、みんな声を出してうたっていました。会場が一つになっているのを上から見て感じました。コブクロの二人は、お客さんがずっと立っているのはしんどいだろうと、座って聴いてもらったりと、お客さんのことも考えてくれていました。盛り上がるところは、お客さんと一緒になって盛り上がったり、本当にみんなが楽しく満足のいくライヴになったと思います。曲説明が長すぎて、黒田さんが、「歌より曲説明の方が長いって!」と言ったり、いつものように、二人のおもしろいトーク満載で、みんなすごく笑っていました。「成功するには、成功するまでやること!」や、「轍を与えられるのではなく、轍を作ろう。」など、良い言葉もたくさん残してくれました。
ライヴが終わってからも、コブクロの二人はすごく笑顔でした。「今日は最高!めちゃ良かった。またやる気が出た。」この言葉を聞いた時は、本当に50人ライヴをして良かったと、心から思いました。コブクロの音楽をたくさんの人に知ってもらいたいという私たちの思いが、コブクロの二人にも伝わったんだと思いました。コブクロの二人の伝えたいという思いが、お客さんの心に届き、ライヴ終了後、本当にたくさんの人から、「本当に来て良かった。」「すごく感動した。」など、たくさんの言葉をもらいました。泣いていたお客さんもいました。本当にコブクロパワーはすごいと思いました。
ライヴを主催する側になったのは初めての経験で、本当にいろんなことを学ぶことができ、とても良い経験になったと思っています。たくさんの人にコブクロの音楽を知ってもらいたかったし、コブクロの二人にも喜んでもらいたかったので、50人ライヴをしよう!と決まってからは、本当に一生懸命でした。主催するということは、本当に大変なことだということがわかりました。当日は、いろんなことを考えて動き回り、大変でした。でも、それ以上にすごく楽しくできました。私は、コブクロの二人に出会い、コブクロの音楽に出会い、本当に良かったといつも心から思っています。いつもコブクロの二人には感謝しています。コブクロに出会ったことで、本当にたくさんの出会いがありました。私の中では、コブクロに出会ったことで人生が変わったと言えます。今いる周りの大切な友達は、その時に出会った人達で、コブクロに出会っていなかったら今頃はどうなっているんだろうと思います。そしてコブクロには、出会いの大切さを教えてもらいました。それまでストリートに行くことがなかったし、ストリートで友達ができるなんて思ってもないことでした。コブクロのストリートやライヴ、イベントなどに行き、コブクロが好きという共通点で、たくさんの人と話すことができました。あの頃は、コブクロのことをもっともっとたくさんの人に知ってもらおうと、本当に必死でした。こんなに良い音楽をまだ知らない人がいることにもったいなさを感じ、周りの人にコブクロの話ばかりしていたのを思い出します。ストリートで唄っているのを聴き、感動で涙が出たことが、忘れられないです。音楽を聴いて涙が出たのはコブクロの歌を聴いた時が初めてでした。とにかくいろんな人にCDを聴いてもらったり、テープを聴いてもらったりしました。でもやっぱり、実際に生で二人の唄声を聴いてほしかったことが、50人ライヴをするきっかけになったと思います。
コブクロがメジャーデビューをした今は、コブクロの二人と話す機会がなかなかないけれど、変わらず心から応援しています。そして、コブクロの二人には、今でもパワーをもらっています。大切な友達に出会うことができ、たくさん大切なことを教えてくれたコブクロの二人には、本当に心からありがとうが言いたいです。コブクロに出会って本当に良かったです。 |
| ペンネーム:ねーやん |
コブクロと出会って、50人ライブの事を知って、私も主催したいと思いました。
コブクロをもっともっとたくさんの人に知ってもらいたい、そして、コブクロにも気持ちいい時間を過ごしてもらいたいという事を基本として進めていきました。
初めに場所選び。絶対にコブクロが結成された堺で、そして名古屋ハートランドのライブをヒントにライブハウスでやりたいと思い探し回りました。
ちょうど、小渕さんと黒田さんが出会った「銀座通り商店街」から数メートルの筋肉ホールを見つけました。そして、心強い、一緒にライブを作り上げてくれる仲間も集まりました。オフィスに申し込みをしてからライブまでの約2ヶ月間、私の頭の中は常に、50人ライブの事で、数えきれないくらい皆で集まり、話し合い、合宿し、準備をしました。
皆で初めて集合した時に決めたライブタイトル「筋肉人気」(逆から読んでも“きんにくにんき”)から、楽屋に置いておくお菓子まで、事こまかく決めていました。
そして、ライブ当日、今までの努力が報われ、たくさんのお客さんが来てくれました。
ライブでのビックリ企画の1つ、このコブクロが生まれた、“桜”が生まれた地でのライブ、そして初ライブから1周年のお祝いとして、“桜”の曲の終盤で桜の形の花びらを散らせました。これにはお客さんもコブクロも感動してくれたようでした。唄が終わった後に小渕さんが言ってくれた「こんなに良くしてもらったのは初めてです。」の言葉、そして黒田さんの「こんないい環境は今までないね」の言葉は一生忘れません。
最終的に、100人以上のお客さんが来てくれ、CDもその時で歴代一位の94枚という売上をしました。
ライブ終了後に小渕さんが書いてくれた「50人ライブは数あれど、今日は奇跡が起きました。でもこれは奇跡でなくみんなの心の力です。バンザイ!!」という言葉。
ありがとうございます。本当に今までがんばって、形にし、成功したと自負しています。筋肉人気のライブから一週間後の京都アートコンプレックスのライブで、みのすけ社長直々に一刻も早いライブレポート提出の依頼を受けました。プレッシャーの反面、すごい、うれしかったです。また皆で集まり、徹夜をし、美幸を筆頭に今までにないライブレポートを作り、美香さんがそのまま再現してくれました。大変だったようで...。美香さん本当に感謝しています。
今まであんなに一つの事に力を注いだ事がないというぐらいにがんばりました。そして努力すればしただけその分返ってくるという事を知りました。でもこれは本当に一人の力だけでは決してできなかった事です。
コブクロに出会ってもうすぐ3年。今の私の生活、周りにいる人は元を辿ればコブクロから繋がっています。コブクロに出会わなければ知り合わなかった人、持たなかった感情、想い出たくさんあります。
50人ライブの事は2年半たった今でもずっと脳裏に心に焼きついています。
きっとこれから何年たっても...。 |